果然日記、やっぱりね。

「果然是妳、」と言われるとなんだか嬉しい。やっぱり、全て私らしい。

ベッドから這い上がり深夜書店でオールした2日間。 at 文喫

東京16日目の12月22日。
寝ぼけ頭で携帯を手に見かけた通知の中に、以前通訳をお手伝いをした台湾の企業から長期計画のプロジェクトに本格的に参入してほしい、と熱いラブコールが混じっていた。
必要とされる喜びの一方で、ついにそんな話まで舞い込んでしまった、と軽く頭を抱えた。


日本語、中国語、英語。前述の順は、私がうまく話せる言葉の並び。
23年、5年、18年。同様の順に、その言葉を親しみ、人と目を合わせ声を交わした。

そんな中で、真っ先に目に飛び込む一桁の数字。
たった5年、されど5年。
それでも他より圧倒的に年数若く私の中に居座る中国語という異言語が、今や私の交友関係、定期的に頂くお仕事、学業、生活、独り言、思考、あらゆる場面や環境に浸透している。
そして私にもっと面白い日常を、新たな趣味趣向を、感性を、度胸と勇気を、出会いを、そして過去諦めた夢や新しい目標を与えてくれた。
時々思う。当時「自信がない」「どうせ私なんかじゃ食べていけない」と考えて、芸術科のある高校への進学を推薦してくれた恩師の言葉を「英語に携わる夢ができたんです」と遮ってしまった私に、将来お前は海外の大学でその道に舞い戻ってるよ、なんて言ったらどんな顔するんだろうな。

学習を始めてから、基本的なことは大体自分の頭だけで賄えるようになって5年。
こうして仕事の一員として誘われる声にうまく食い付けないのは、求められているのはその言語能力にすぎないからだった。
あくまでも私が参入したいのは今の学びの主としているデザイン業界であり、言語はその中で私の強みとして光っていて欲しかった。デザインの世界で二足の草鞋を履きたかった。テレビメディアでも、ITでも、飲食でもない。他じゃない。
そしてラブコールに頷けないのは、そんな興味を十分に持ち切ることができない不誠実な態度に申し訳なさや引け目を感じるからだった。深く考えなくたって、相手の望む「長期」という期間に留まり続けることにいずれきっと私は耐えられなくなってしまう。
私の力を認めてくださっているその方は学業との両立を重視したアルバイトという立場を提案してくれているが、コロナ禍収束により「彈性教學」という16週+2週という余裕を持っていた履修スケジュールも元に戻ることで、これまでよりヒイヒイ声を上げて作品を仕上げなければならない。実際、海を超えた先のクラスメイト達は今日も不眠不休でたまに食べもせず必死に作品に向き合っている人が大勢いて、そんな16週間に縮んだよりぎゅうぎゅう詰めな毎日に、履修内容と擦りもしない理系分野をある程度心得る必要があるのは十分苦痛だとしか考え切れなかった。
少なくとも、今これからの現状を知らぬまま首を縦に振るにはリスキーな選択が過ぎる。私はそこまでできた人間ではなかった。

どうしよう、とベッドでうずくまる。
こうして声を掛けてもらえる内が花なのかもしれないけれど、この仕事を引き受けることでこれから出会える理想のインターンやお仕事を泣く泣く逃すことになってしまったら…私は泣くどころじゃ済まない。だから二つ返事での即答など、できるはずもない。

とりあえず比較的簡略的な文面だけでは相手の考えもいまいち理解しきれないので、近々お電話の時間を設けてくれないかと打診して、了解の返事をもらったことでこの議題は一時寝かせることにした。これ以上考えると思い詰めてしまいそうで、このままだとこの日元々組んでいた予定も全てキャンセルして、初めて東京生活でベッドから出られない状況を作り出してしまいそうだった。

寝転び、しばらく携帯の画面を滑らせる。
通知欄の中にイギリスの友達からの返信はなかった。心に重しが乗るような悩み事はよく彼にしていたからまた話を聞いてもらいたかったが、療養中or病み上がりの人間に追いメッセージをぶつける程の自己中にもなれなかった。
前回のお出かけ及び顔合わせの機会は結局、相手の体調が治りきらず延期することになった。当日に「一応体調は良くはなったけど、だからと言って100%というわけでもなさそう…。」と申し訳なさそうに言われて、流石に病人を連れ回す趣味はないからゆっくり休んでよ、と返したのだ。「ハハ、ありがとう。君に移すことだけはしたくないしもう少し大人しくしとくよ」と返ってきて、それからはゆっくり休んでもらっている。
話がしたかった、とは言ってもどうせ近日会うんだ。そう思うと妙に落ち着かない気持ちになった。
会ったらまずはどんな話をしよう。
…そもそもネイティブのイギリス英語を聞き取れるだろうか、そして私の拙い英語は果たして理解してもらえるクオリティなのか。
前回一緒に食事をした韓国&アメリカの友人夫婦とご飯をした時、あまりに不安になりネイティブ目線から自分の英語が聞き取れるかどうかを聞いたら「全く日本人らしい発音(おそらくカタカナ英語)も混じっていなければすごくしっかりしたアメリカ英語だし、もっと自信持っていいんだよ」と言ってもらえたが、やっぱり若干の不安が残っていた。
ちなみに、彼らは元々兄弟の知り合いだったのに通訳を任されることですっかり仲良くなり、最終的に今回の盛り上がりからノリで「東京のオッパとオンニ」と呼ばせてもらうまでになった。年末年始にはお家に招いてもらい、自家製キムチパーティーとゲームでゆっくりと遊ぶことになっている。
(アメリカ人の旦那さんが生粋のゆるアニメオタクでゲーマーでジャパニーズミームマニアであり、初対面時に「(‘ω’)アサヒィ↓スゥパァ↑ドゥルァァァァイ↓」や「せやな」というネットミームに私が呼応してしまったことで一目置かれるようになった。そんな彼の奥さんの反応がまさにドライで毎回笑ってしまっている。ということをついでに思い出したので書いておこう。意外と忘れてしまうものだ。)

言語の尽きない不安ももちろんだが、何より、これまで沢山話を聞いて助けてくれた数え切れないほどの恩を、どう言葉にして伝えようか。
「恩返し」というゴールについて、休学してからこれまでずっと考え続けている。
これもまた後に話すが、うつ病ピークで一切身動きがとれなくなった私のその後を沢山の友人や大人に助けてもらったが、彼は特にその真っ只中にたまたま久しぶりに連絡をくれたことをきっかけに、何より親身になって、言葉通り本当に0から100までの全ての話を聞いてくれた。
あまりにも泣きたいくらいのあたたかい対応と言葉にいったい何十回、何百回助けてもらったか分からず、この恩をどう一人一人に返せばいいんだろう、と思案する頃には私は再びそれぞれからの優しさを思い出してはひとり屋内外構わずちょっと涙を拭うことしかできなくなるのだった。

今はこれも考えるのをやめよう、グジグジ考えていたって仕方ない。
じゃないと。

考えれば考えるほど思い悩んでいたり、芋蔓式にこれまでの恩を受けた時の気持ちが蘇ってきて涙まで滲んできたので頭を振り払う。
先ほどまでの悩みの影響でよりマットレスに身体が吸い込まれていくし、同時にだんだん日も傾いていく。せめて夜の予定がとびきり長いのだから、とGoogle Mapで夜の目的地に到着するまでの移動時間を逆算し、それまでは動画を見て思考停止のための休息を挟みつつゆっくりお風呂に入りなおしたりメイクを済ませたりしてみた。

時間になったので、伸びのいいヒートテック仕様のジーンズに足を通し家を出る。
目的地は、六本木だ。

 


文喫オールナイトに入り浸る2日間

相変わらず少々迷子や乗り違えの危機を乗り越え、「文喫」というお店に到着する。どうやら3万冊を超える所蔵数を誇り、入場料さえ払ってしまえばフルタイムで室内の喫茶カフェで休みつつ、好きなだけ本を読んだり作業ができる……という夢のようなお店だった。
そんなブックストアがオープン5周年記念ということで、22日〜24日はオールナイト営業というものを開催するようだった。聞くところによると、20時から早朝5時まで好きなだけいられるのだそう。


ここ約1週間ほど3日間のうちどの一日を文喫Dayにしてしまおうかチケット購入画面を前に悩んでいたが、22日は冬至でどうしても湯圓が食べたくなるだろうと思っていたから、あえて自分の日にしていた。
湯圓(tanyuan)とは台湾で冬至の日に皆がこぞって食べる、甘いペースト入りの白玉団子のこと。毎年、ゴマ派かピーナッツバター派かで、はたまたそれ以外派かで激しい争いを見せている。Instagramのストーリーズが一瞬で湯圓だらけになってしまったので、予想通り本当に湯圓の口になってしまい新大久保の中華スーパーまで走った。自分は結局厳選できず3袋ほど買ってしまったが、やっぱり若干自分の中でゴマ派に勝ち星が上がりそうだった。
迷った挙句、兄弟に電話し決めてもらった。
ちょうど実家の大掃除をしてくれていた(うまく片づけられない性分の私の分まで家中を隈なくやってくれていた)兄弟は「今そんなの決めてあげてる場合じゃないんだけど!」と憤慨しつつ『最終的にお前のことだから急用ができたりトラブルで行けなくなって後悔するはずだから、残りの2日間をその日にしな〜。』と的確にアドバイスをもらい、実際に2日間のチケットを購入することにした。
程なくして「チケット買ったか?」とリマインドのメッセージをくれた。
トーク画面を自分のためのリマインドにしてくれたり、こういうところがとびきり優しい歳の近い兄弟に感謝の返事をする。東京土産をたんまりと買って帰らなければ。

そんなこんなで、六本木駅出口を出てすぐにある店内へ。
初めての利用だと店員さんに告げ、他のお客さんへのラッピングの時間を待ってから利用案内をして頂く。
カウンター前には早速気になる雑貨類や雑誌、本の福袋的商品が並んでいて思わず目を張る。深夜に眠たくなったらここを見ることにしよう、と思い早速カフェに足を運ぶ。


本当は腹ごしらえをしてから来ようと思っていたが、ベッドで燻る時間が長かったのと、到着時間を夜間営業のオープン時間に合わせ準備時間を逆算していたものだから、思いっきり時間配分をミスっていた。まだ初めてスペースを利用することもありどれぐらいの席数と混み具合になるかの予測も立てられず、完全に食事をするタイミングを失っていた。
だから、余計に店内に軽食のあるカフェがあるのはありがたかった。
オリジナルレシピのクロックムッシュと20%オフのメロンパンを購入し、待ち時間の間に席に座り、先に気になって手に取っていたPOPEYEの今月号とTwitter(現X)で見かけた漫画「じゃああんたが作ってみろよ」を読み始める。直に呼び出され、区切りのいいところまで本を読んだところでクロックムッシュから一口ずつ食べていく。後に手を出したメロンパンがあまりにも美味でいまだに忘れられない。

漫画を読んで思ったのは、筑前煮から始まる男女間のステレオ観の差異を見るに、そういう男女のあれこれ以前に、やっぱりどんなに近い間柄…たとえ恋人や婚約者であっても「所詮、他人であることは忘れてはならない」という結論に至る他ない。いや、だからこそかもしれないな、とも考えた。「親しき中にも(こそ)礼儀あり」だな、とは考えつつ自分はどうだろうか、と食べたり無料のレモンウォーターを飲みながら淡々と考えていた。あまり深く考えてしまえばここに来た意味を失ってしまうので、食べ終えて早々に閲覧室の席に着いた。

初日23日のその後は淡々と、

  • アナログのスケジュール帳を更新(予定の内容に合わせてシールも貼る。ちいかわで沢山彩った)
  • iPadのフリーボードで来年やりたいことをマインドマップ形式で書き出す
  • ブログを書く(前回分をやっと更新した。実は前回10,000文字以上書いた)
  • 「傘のさし方が分からない」
  • 「HEARTSTOPPER」 ~4巻、読了

これらをこなして退店。他にも本は触っていたけど、結局熱心に読んだのはたった5冊(そのうち4冊は同シリーズ)だった。
岸田奈美さんの文章はコロナ禍にnoteで「ワクチンを打ったわたし、心臓を止めない薬」という文章を書かれていたことで初めて読んだが、反ワクチンの立場で岸田さんの身を案じる読者に真っ当から向き合い、複雑に思う気持ちと過去病院の医師に対し強い憎しみと疑いの目を持っていた背景などを正直に、そして情景が浮かぶように書かれており、当時周囲で同様の論争に各方面でかなり疲弊していた心を動かされ「相手の背景を汲み取り切るまではできなくとも、理解をしようと思うだけの心は持ちたい」と相手と私とのワンクッションを思い浮かべることを学ばせてくれた。今日まで機会を逃しつつもずっと読みたいと思っていたが、今回実際に収録されていたこの本を軽く読み返して、改めてその胸苦しさと医師の想いに暫くハンカチが必要になった。
「傘のさし方がわからない」はその翌日の営業日にそのままお買い上げをした。

「HEARTSTOPPER」は以前どこかで見聞のあるタイトルだった。イギリスの学園BLもので現在はNetflixで実写シリーズ化もされているそうだが、読み進めるにつれてセクシュアリティを問われた過去やそこに関連した恋人間で起こりうるメンタルヘルスの悪化が発端の依存に関する描写がリアルに描かれていき、4巻目は特に読んでいてすごく苦しかった。それでも読み進められたのは、過去にあまりに心身に影響を受けた出来事と重なったことだった。
過去、私はNicolas側、所謂サポート側として人と一緒に戦っていたことがある。
その経験をその話について表立って語ることはしないが、少なくともどんなに私が辛く理不尽だと内心憤慨したような思いをしていようと、私だけが被害者面を厚くするべきではないのは確かで。これまでもこれからも、その意思表示ができるほどのいい人には成り切れずに身を滅ぼし切り満身創痍で何も言えず後を去ってしまった以上、おそらく、その負い目はいつになっても何をしても拭い切ることはできそうにない。
ぼんやりとしているが、そういうことがあった。それだけに留めたい。

この「文喫」のお店でのことも多少ハイライトに残したので投下しておく。


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早朝5時になり退店後はあまりにお腹が空いてしまっていたので、近くのすき家で朝食定食をいただいた。
周りがしこたま飲んで酔ってしまっているであろうおそらくカップルや会社の上司後輩同士、外国人達の中で一滴の酒も呑まず、それこそさっきまで淡々と自由に作業や読書をしていただけの爽やか格好がいかに目立つのか、それとも人の目には早朝にすき家に駆け込むはずのない小さな小娘に見られてしまったのか。少しばかり異様な視線に駆られつつ、構わずご飯にとろろをかけて美味しくいただいた。やっぱり和食が一番だ。

24日の2日目はしっかりサイゼでご飯を食べた後に望んだ。
スシローといいサイゼといい、一人だとリミッターを大胆に外して限界まで食べてしまう癖をどうにかしたい。当日のサイゼの会計は2,050円だった。2,000円切るのが通常だと風の噂で聞いたことがあるので多分食べ過ぎなのだろう。美味しいから仕方がなかったが苦しくて仕方がなかった。
いつかの青い鳥が健在だった頃のTwitterで「玉ねぎのズッパが最高にうまい」という情報を覚えていたのだが、本当に美味しくてあっという間に一軍入りをしてしまった。台湾の店舗には置いてなかったはずだから今後苦しむ他ない。つらい。

  • Notion管理
  • スケジュール整理
  • 「傘のさし方がわからない」購入
  • 「愛情観察」相澤義和 読了
  • 「かなわない」植本一子
  • 「Luca Dizionario Vo.1 2012-2022」
  • 「世界の美しいデザイン」

相澤義和のファンは、台湾にも多い。落ち合ってから身に纏う布を取り去り妖艶に映し出される写真は刺激こそあるものの、その背景から異様な心地の悪さというビハインドシーンが感じられず、被写体の女性は皆「悦」という文字が似合いそうで程よい肉感と滑らかな肌が一等美しかった。
気を抜いてのんびりページをめくると、中間のページに急に佐伯ポインティが現れ心底驚く。相澤義和×佐伯ポインティという組み合わせもあるのか!と衝撃を受ける一方、そこに繋がりがあると思うとひどくしっくりも来た。彼の事業もエンタメとしてよく見ていたので、ポちゃんと呼んでいる。
驚きのあまり親しい友達向けに軽く紹介してしまったが、高校で3年間を共にした大半のクラスメイト達がそういう性に奔放なネタをこよなく愛しているので、おそらくそこは引かれたりとかいう問題はなかった。
ニコニコとポーズを撮るポちゃんの後ろにはあまりに明け透けな写真群が広がっていたので、そこはしっかりかわいいフィルターで隠しておいた。
(ここでは書籍紹介のハイライトだけ掲載することとする。文面には「ぼんやり眺めてた写真集に突如ポが出てきて3度見した。ポちゃんが出てるってことで背景は一旦ポップに彩るね」と記載した。)

その後「かなわない」も「遺影」と名のついたプロローグを読んでつい惹かれたが、その一方でとてつも無い異様さのような心地を抱いたので、ワンクッションとしてネタバレ無しのレビューを一旦読む。まさに賛否両論の4文字に相応しい静かな論争が巻き起こっていた。
事前に知った内容でかい摘んで読んでみたり、後書き前の一番美味しいであろうところを読んでしまったが、精神衛生を思うとそれで良かったかもしれない、と思ってしまうほどの衝撃のラストであった。思わずその感想をアバウトに書き出したので、それも記録として。

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一通り満喫し切って、最後に自分へのギフトを探す。
最終的に深い緑色が綺麗なフリクションの多色ボールペンとニーチェの格言をモチーフとしたポーチ、それから岸本奈美さんの「傘のさし方がわからない」を購入。それから来月にとある大好きな漫画家さんのサイン会に参戦できることになっているので、上京生活でゆったりした時間を過ごしてもらえたら、と入場チケットを包んでもらった。あとはその漫画家さんとの共通の好みであるちいかわグッズを少しばかり買い加えようと思う。

楽しかったです、と店員さんに2日間の感謝を告げ、今回はそのまま帰路に着く。



寒波のピーク最終日であったため、早朝の空気は特にひんやりしていて、その分吸っていて心地のいいほどにすんだ空気で包まれていた。小さい頃から変わらず白い息が出ることに内心はしゃいでしまうので、それも記録として中国語で6秒ほどの簡素なVlogストーリーを記録した。

2日の真夜中の休息の楽しさと疲労をベッドまで運び、泥のように眠った。
そしていまだ、2日間限定の生活習慣を引きずり続けている。

 

 

2023/12/27

媒体越しの風景、人生、友人。鏡越しの粉吹き顔。

東京生活、14日目の12月21日。渋谷とその辺りを散歩する日だった。
その日の一番のお目当ては、渋谷ヒカリエホールで開催されている「ウェス・アンダーソンすぎる展」だった。

本当は東京7日目にチケットを予約していたが、その前夜、語学生時代でルームメイトの友達枠として仲の良かった香港系カナダ人の友人+彼の愉快な仲間達と浅草で乾杯していた。その影響が寝坊、遅刻、そしてチケット無効化の3コンボを决めてしまうのを恐れ、今日にまで日時をずらしていた。
しかし東京生活13日目の昨日(20日)も、朝から高校の友人の引っ越し先である千葉に飛んでいき、お昼を食べながら竹藪までドライブ兼散歩をさせてもらい、夜になる頃には再び東京・渋谷まで戻り知り合いの韓国人とアメリカ人の夫婦と共にご飯を食べ、話が盛り上がった後にそのまま彼らの行きつけの紹介制バーでお酒を嗜んでいた。ちなみに初めてのバー体験だった。店主に相談して念のために薄めに作ってもらったカクテルを飲んでいたが、ご飯先での居酒屋でも飲んでいたため、帰宅後、部屋のヒーターで手足を温めている間に心地良い疲れに襲われ、つい寝てしまった。
アラームをかけ忘れてしまったため、朝5時に目覚めてはまだ暗い外を眺め、1日中寝たかもしれない…とひどく青ざめたのが記憶に新しい。
早朝だったと安心したもつかぬ間、結果的に深い二度寝へと誘われ、結局今日も出発に遅れてしまったので30分ずらした時刻に予約を変更し入場した。

この前は『全てに日時指定が必要になるなんて、なんて面倒な世の中になってしまったんだ…』なんて、モネの連作展を観に行くと決めた時にぶつぶつと考えていたが、それは私が優柔不断なために予定を決めるが難しいだけで、決してモネは悪くなかった。その上、予約日時の変更ができたことへの恩恵を2度もひしひしも感じてしまった。
さらに言うなら、イギリス人の親友と予約していたチームラボも当時の時点で時間及び日付をずらなさければならなくなりそうなので、もう私にこれ以上の文句を言う権利などなかった。日時指定制様様です。
しかし回転率を早くする対策をとってくれていても爆速で予約が埋まってしまう、常設のちいかわカフェとポケモンカフェにはどうしても未だ負け惜しみの言葉が出てしまう。
未だに争奪戦の日からしばらく経っても頭にメニューが過るくらい、それくらい東京生活の間に行ってみたかったのだ。

さて、そんなこんなで住まいにしている家から出発し、スマホで30分遅れの時間に予約変更を済ませつつ、車内で窓脇にもたれ自分の初投稿のブログを読み返す。

自分だけかな?と時折気になるのだが、Instagramのストーリーズ日記でも自分のポストを繰り返し読んでしまう傾向がある。打ち間違えや表現が間違ってがないか、句読点の位置が読みにくくはないか等のチェックも兼ねているが、何より、自身の記録を通して出来事を思い出すとくっきりとどんなことがあったか思い出しやすいのだ。もはや自身の日記すらも娯楽へと変えてしまっている。前回の文に早速少し重複した表現をしていたり文が多少ぎこちない箇所を見つけたので、後で訂正するか……とかぼんやりと考えていた。
それからありがたいことにさっそくスターを頂いたり、読者もすでに付いて下さったようだった。電車でつい、マスク下でにやにやと笑みを浮かべてしまう。
さっそく私の日記を読んでくれた方の巡回に向かい、初めにねむたげさん( id:nekoze16g )の日記を最新順から夢中になって読んでいく。初っ端から娘さんと一緒にエビカニクスでダンシングする日記でクスッと笑って心がぽかぽかになった。
やっぱはてなの日記ってこれだよなぁ〜〜最高〜〜〜!!!なんて高揚感でいっぱいになる。面倒見のいい小6の姪っ子が保育園児の妹に付き合い、同じようにエビカニクスを全力ダンシングしていた光景を思い出した。東京土産、何を買ってあげようかしら。

そうして乗り換えのために次の駅で降りる用意をしていたら、向かいのベビーカーに乗った温いモコモコのお洋服でおめかしをした男の子が私に一生懸命手を振ってくれていた。
あらやだ!!きゃわですこと!!!かわいいわね〜〜〜〜〜!!!
我が心に秘めるイマジナリーおばさんが顔を覗かせたが、何とかして抑え込み穏やかなお姉さん風にンフフッ……と微笑みながら手を振り返した。「すみません…」と縮こまってしまうママさんにヤダッそんな!!!シェアハピじゃないのありがとう!!!とお礼を申し上げたい心を押さつつ、いえいえ…!と言おうと口を開けた瞬間、またドかわいい坊やが再度おかわりのバイバイをくれた。思わずママさんと一緒に笑ってしまった。

渋谷駅に到着し、交差する人の波をするすると抜けて渋谷ヒカリエへの道を歩いた。今日は一日中しぶやのワンコには会わなかった。

 

レンズ越しに鑑賞する「ウェス・アンダーソンすぎる展」

ヒカリエホールには無事、入場時間前に着いた。
今回もミラーレスカメラ(Canon)をお供として首に下げていたので、なるべく身軽になりたくてコートとペットボトルを返却式のロッカーに詰める。
そうして入場したが、思いのほか、一通り見終えるだけで結構時間がかかるくらいかなりボリューミーな作品群だった。鑑賞客は混み合うことはないくらいの数だったが、全作品カメラOKだったこともあり、シャッター音と共に自身の媒体内で展示コレクションを構築する人で溢れていた。

これも東京に来てはっきりと気づいたことだが、どうやら撮影オールOKな空間があまり好きではないらしい。
実際、全て撮影可能だと説明を受けた時、心の内でちょっとため息をついた。
シンプルに作品に集中できないし、時にちょこまか歩きで列を成して回転の悪い人力鑑賞ツアーをしなければならない時もある。また、ずらりと2列以上に並ぶ作品群だと特に、一枚一枚コレクションしていく他人のために待たないといけない「無」の時間が一番つまらなくて、なんでこんな律儀に待ってあげないといけないんだろう……とかかわいくないことを考えてしまう。今回の展示ではないのだが、東京で見たとある展示会では全ての作品群と一点ずつ自撮りをしていた人もいたことを思い出してしまった。
「それ、本当に後で見返す?」とか「後で調べる用にキャプションは撮らなくていいの??」とか、何かといつも心で問いかけながら待っている。燻っている。
私はそこまで性格が良くないのかもしれない。

こんなことを抜かしているが、私も複数回カメラを構えた。完全なるおまいうである。でも流石に全部は撮ってないよ。

展覧会の旅に、私はミラーレスカメラを持っていく。
iPhoneで撮る方がコンパクトではあるけれど、道中はどうしても荷物になるけれど、それでもやっぱりカメラがいいなぁと思うのは、ファインダーに直接瞳を当てることで視界にグリッドが映し出され、如何に作品が構図にこだわっているのかを体感することができるからだ。
この展示会のテーマなら尚更。シンメトリー構図をバリバリに意識しているから、よりそれぞれ写真家達がどんな構想を経て作品を撮ったのかの理解が深まる。そして何より作品によって変わる照明に合わせ、より肉眼で見た色彩に近づけるあの訓練的作業を繰り返すのが楽しいのだ。
私の場合、オールドレンズの50mm単焦点レンズを愛用していて、その練習として毎回調節しているため、撮影の度に自分のスキルを育てられて勉強になる。しかしどんなに急いでもスマホほどスッと取り出してパシャっと撮る、なんてことは難しいので、展示の空間を移動する度に皆の巡回とは逆方向に見ていることが多い。

撮影に若干の手間はかかる。
だが、それほどゆっくり時間をかけて観察した作品は、記憶に残りやすい。

現に忘れられない作品に数点出会えたから、今日の展示は見てよかったな、と思った。

f:id:nsz_110:20231222011708j:image( ヴィクトリアパーク・テニスコート_香港、銅鑼湾 )

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(『COOL POOLS』と名付けられた空間の作品群は全てアクリル加工が施されていた。やっぱり水面のある被写体とアクリルの相性は最高だ。)

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(左:新幹線_日本、東京)(右:JR_日本、東京)

 

一通り鑑賞を終え、目録と好きな作品のラムネ入りスライド缶、ポストカード、ステッカーセットを買う。三宮橋に移動する予定を控えてはいたが、少しだけ渋谷ヒカリエ内を探索できそうだったので駅の出口に直結した装飾品のエリアを散策する。
入ってすぐ、これだ!!と声を上げたいほどにドストライクなビビッドウィンターカラーのマフラーを見かけて思わず手に取るけど、さすがヒカリエ、としか形容ができない程度には強気価格だった。静かに棚に戻す、を複数回は繰り返した。
午後にまた散財をする予定だったので断念。ちょっとしばらく引き摺りそう。

 

Picaresqueで他人の日記を読み漁る午後

午後は、pomeさんのYoutubeで見てずっと気になっていた手帳類図書室へ。
今朝で予約を入れることができていたので、渋谷からバスに乗り三宮橋駅周辺で降りる。

朝から何も食べていなかったな、と思い立ち、近くのパスタ屋さんに入る。ペット可らしいそのお店では、ほとんどの席で小型犬が抱かれたままの空間が広がっていた。
これも東京に来て思ったことだが、ママ友的な会でペット同伴で談笑している奥様方、同じ犬種で揃えがちでは……?
毎度そういう光景を見かける度、同じ母犬のもとで生まれた兄弟犬なのか?と疑問符を浮かべてしまうくらいには見た目そっくりの同じ犬種で集合し合っている。おかげでどこのママ友会もいつも壮観な絵面をしている。
そして中〜大型犬もあまり見かけることができない。今日この日まで誘惑に勝てず、足元を嗅ぎに来てくれた子の飼い主さんに何度かワンちゃんのおさわりを強請ってしまっていたが、無性に大きな尻尾でルンルンと歩く大きな愛しい命に触れたかった。
最終的には、実家の愛しのおばあちゃんラブラドールが恋しくてたまらなくなる。実の話、うちの子ね、ラブラドールの中でもすごく童顔で一等美人なんです。
これはガチ。

話は戻って、日替わりランチのボンゴレを注文。
「ビアンコとロッソ、どちらになさいますか?」と店員さんに問われたけど、何のことかさっぱり分からなかった。
聞くと、ビアンコは白ワインベース、ロッソはトマトベースらしかった。なるほど理解した!と思い、じゃあ白ワインベースの方で……と注文をするが、3点リーダー音読分くらいの間の末に「はい、ビアンコですね」と返答。やっぱりビアンコと呼ぶべきだったんだ…。
麺が少々硬めに感じたが、お味は程よいガーリック感でなかなかに美味しかった。ボンゴレも好きだがペペロンチーノも好きなので、近々サイゼにでも行こうかな、とパスタを食べながらぼんやりと考えた。浮気者である。

平らげる頃には予約の時間が迫っていたため、路地を急ぐ。
そうして住宅街にひっそり佇む小さなアートギャラリー、Picaresqueで手帳類図書室を利用させてもらった。ここを知るきっかけになったpomeさんとはRollbahnノートなどを用いた手帳ライフを楽しんでいらっしゃる主婦の方で、以前ここを紹介していたことがあったのだ。

www.youtube.com


この動画を見てから、この場所がしばらく手帳という手帳を書けていない私の「手帳欲」に火をつけてくれないかな、という下心で行ってみたいとずっと考えていた。想像よりももっとずっとこぢんまりとした空間だったが、所蔵された手帳はすごく読み応えがあるものばかりだったと思う。

私が読んだのは、還暦のデザイナーさんの日記と就活日記、外国人留学生の日記と帰国子女の日記。
その中でもやっぱり一番参考になり、面白かったのはデザイナーさんだった。
何より衝撃を受けたのは、映画や展覧会鑑賞を通して情報や美学のインプットを行うその頻度の高さ。週に2回は首都圏のあちこちへ芸術鑑賞に訪れているようだったし、ほぼ毎週TSUTAYAでレンタルした映画のDVDタイトルを書き連ねていた。
私は映画をあまり嗜むこともなければ、地元では伝統文化にまつわる展示以外の芸術展や企画展を鑑賞できる機会もそこまで多くなく、一方大学では当時忙しさやうつ病の起因となったプライベートがあまりに制限されていた中での生活で心の余裕も全くもって作れなかったので、これは帰省の期間と復学後に参考にしたいと思った。
インプット量を増やす。たくさんの表現方法に触れる。早速2024年の目標にしたい。
その次に驚いたのは、毎週末を潰すペースで多かった「事務所泊」の記述だった。やっぱりデザイン業界は毎晩イルミネーションの光になる他ないのかしら……と、自分の将来が若干心配になった。

1時間半の鑑賞時間を終え、退館。
そのままロフトに行くか、と思い立ち電車で池袋に戻る。

その道中、明日(12/22)一緒にチームラボに行く予定のイギリス人の親友(症状を聞くにインフルで寝込んでいる)から「ごめん、寝過ごしちゃって一緒の時間のチケット買えなかった…。俺のチケットの時間のほうが遅いんだけど、その時間に変更できそう?」とチケットの日時変更の打診がきた。
しかしこちらはそれぞれでチケットを買うなんて発想をしていなかったものだから、私が2枚買っていたと同時に相手にもそれを伝えるのを忘れてしまっていた。やらかした。
うわ、本当にごめん私もう2枚分買っちゃってた……と謝ると「えっ!むしろ最高じゃん!代わりに買っていてくれてありがとね。」とお礼を言われてしまった。原則返金ができないと記憶しているので、このままだと確実に相手が損をしてしまう。相変わらず彼の対応がすごく前向きで優しいけど、だからこそ余計に申し訳なくてたまらない。
というか友人の初来日、及び交換留学記念に奢るつもりでいた。
「明日お金返すね!」と言われ、ほんの出来心で『ちなみにだけど、もしお金は受け取るつもりないよ〜って言ったら、怒ったりしちゃう……?』と聞いてみたら、食い気味なYESが返ってきた。絶対に受け取ってよね、と釘を刺された。

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いいじゃん。私も多少なりとも翻訳業の収入があるのに、会う人皆「学生だからいいの!せっかく東京まで来てくれたんだし!」と財布を出させてくれない。
勿論すごく嬉しいしありがたいけど、同世代が就職からひと段落している中でまだ学生であることが歯痒くも感じる。
だから、せっかくだし格好つけさせて欲しい。
そんなことを考えた瞼の裏では、お金を受け取らず、その場から走り去るように遠ざかって逃げる卑怯な手を取る私の姿がいた。

ただ相手の体調がまだ万全ではなさそうなので、おそらくまた延期すると思う。それなら、クリスマスもあることだしプレゼントを考えようかな。これなら何を準備しても大人しく受け取ってくれるだろう。

この友人との関係は話せばとても長いので、また会えた日にでも詳しく書く。

 

来年の手帳を求めたぶらり旅(TOBICHI東京、ロフト)

人の手帳を眺めたすぐ後に日記や手帳を調達しに行く。なんて自由な日なのだろう。

数日前についに念願のほぼ日の直営店であるTOBICHI東京を訪れたのだが、そこで手帳がうまくすんなりと決められなかった。
好きな柄や色がほぼ欠品していたこともあったが、実際に店舗で改めて見知った紙質を確かめると、どうしても50kg前後しか厚みのないトモエリバー紙が好きになれなかったからだった。何枚束ねても問題のないその薄さこそが重大要素でウリなのだろうし、実際、初めてほぼ日手帳を使い始めてから2年目までは不満を感じなかった。
しかし、それから程なくしてRollbahnやロディアくらいの紙の厚みの方が描き心地が良くて大好きになってしまってからは、どんなにほぼ日手帳に挑戦しても使い切れることはなかった。強いて言うならMEGA weeksが出たばかりの頃、留学の備忘録用に使ってみてかなり書き込んだのだが、やっぱりトモエリバー紙とは仲違いをしてしまう運命にあった。
ただ、ほぼ日のコラボカバーはやはりつい惹かれがちで、今回は物欲に負けてPAMMのラップトップケースを買った。正直、このPAMMをきっかけにまたほぼ日手帳に戻ろうとも考えてみたが、また使いこなせる気がしないのでちょうどいい買い物だった。都内ではラップトップケース片手に長距離移動はしんどいので、故郷で運転で移動するときに愛用したいと思う。

そしてその日は池袋ロフトへ。東京に来て初めて入るロフトの店舗だった。
携帯を片手に池袋駅から目的地を目指すが、方向音痴が抜けない故に目の前のドンキやCandoを目印にしても、いまいち自分の現在地が把握できない。
しばらく考えて、Googleマップで住所を見てようやく西武の中にあることを知る。通りであのロゴが見えないわけだ。気を取り直してデパート内に入る。

無事に到着したが、先にコスメから物色。
コスメオタクの徘徊は長い。
温暖の地から極寒の東京に来たので、早々にあまりに極端過ぎる顔のカサつき粉ふきに困っていた。迷いに迷って、乾燥さんのための化粧下地を選んでみる。ステマやPRだらけか?と思うくらい今ではインプレッションゾンビの蔓延るアンダーグラウンドと化したTwitterこと現Xを眺めて考えていたが、日常アカウントの人々からも好評だったので一旦信じてみる。

ようやくお目当ての手帳コーナーまで駆け上がったが、長い間物色しても自分の納得のいく手帳とその使い道には出会えなかった。
手帳類図書室で読んだ就活生が、日本語と入り交ぜてスラスラと英語日記を書いていた様子に憧れを持ち、ロフト店舗でもロディアの週間レフト手帳との相性も良さそうで買うか散々迷ったが、すでに購入し使っていた2冊のRollbahn(Mサイズ)のうち一冊が英語メインだったことを思い出した。
先ほど述べたイギリス人の親友との会話で出てくる単語があまりにTOEIC頻出レベルの高難度な単語が多く、日頃から検索する機会が多かったので、備忘録のために彼とのログを書き写してはその語彙の使い方や使えそうな文法をひたすらメモしているノートだった。

今考えるともう一冊は、不注意優勢型ADHDを疑ってしまうほど物忘れが激しくマルチタスクができない自分のための備忘録帳にしているし、スケジュールをより視覚的に理解できるよう、ラコニックの薄いマンスリー手帳でシールデコの欲求も発散しながら予定を書き出しているし。
目標を決めるゴールリストはラコニックのThinkシリーズのマンダラチャートを使ったり、Notionでも休学中のウィッシュリストや初めて&克服記念日リストというものも記録していれば、Instagramのストーリーズで2カ国語日記を続けているし(ただこれから英語も実践練習がしたいので、多分3ヶ国語日記になる)。
今考えたらポケログも買っていたし、そして今となってはもうこのはてなブログだって始めてしまった。
はてなブログも確かにパブリック日記であることは否めないが、それでも素性は今のところ特定されるほど明かすつもりはないし、正直読まれている方が続けやすいのだ。「ティンダー・レモンケーキ・エフェクト」の著者である葉山さんもそんな事を日記に綴っていた記憶がある。
どうしても吐き出したい気持ちがあればそれはRollbahnの一冊で十分だし、それ以上に何かカテゴリに分けたいのなら、それこそさっき拝見したデザイナーさんのように薄くて小さいノートに日付を残して記録していけばいい話だった。

  • 備忘録用Rollbahn Mサイズ(メイン)
  • 英語学習用Rollbahn Mサイズ
  • アナログでのスケジュール管理用マンスリー手帳
  • 毎月の目標を書き出すマンダラチャート(ファイルに入れマンスリーと併用)
  • レコーディングダイエットとかしてみたかったがために買ったポケログ(忘れがち)
  • 休学中のウィッシュリスト/初めてor克服の記録用/大学生活のあれこれメモの母艦となるNotion
  • 日中英言語練習とアーカイブのために内輪向けに書いているInstagramストーリー日記(人に読まれる前提のパブリック日記)
  • いつか自主制作のZINEとして発行するためのはてなブログ(よりパブリック)

結果、どう考えても自分がこれ以上新しく手帳を買う必要がなかった。どう考えても多すぎる。
しかしそれだけやってもまだ欲しくなるとは、やっぱり自分の趣味は内省及び日記、ということにして良さそう。実際に8月頃にぼんやりと就活準備で試しにクリフトンストレングスを完全版まで課金してやってみたけど、34項目の中で6番目に内省がランクインしていた。

  1. 学習欲_学習意欲が旺盛で常に向上を望んでいる
  2. 親密性_人と親睦を深めることを楽しみ、目標達成のため協力することが好き
  3. 共感性_相手の気持ちを考えることができ、感情を察することができる
  4. 調和性_意見の衝突を嫌い、一致を求め行動する ⇔ 幅広い視野が必要
  5. 収集心_情報の収集、蓄積が得意 ⇔ 日常的なアウトプットが必要

ちなみにトップ5はこんな感じだった。自分でもなんかしっくり来ている。

この内容ただ手帳や日記をつけるアイテムは沢山あるので買うことをやめました、という一言で収まるだろうなぁ……。必要がなかった物をがっつり見に行ってしまうのも、とても自分らしかった。
ロフトではそんな感じで店舗を後にした。

その後、あともう一つの目標を達成するため、恐る恐る西武デパート地下一階へ降りた。

 

たすけて!資生堂さん〜顔の乾燥・粉ふき編〜

温室で生まれ育ったも当然な私だが、その生まれ育ちとは裏腹に、意外と同郷のように分厚く着こまずとも寒さから身を守ることができる謎の頑丈さがあった。末端冷え性ではあるけど、正直お腹がゴロゴロしなければ何も問題はない。そう思っていた。
温暖な土地から一変、カラッカラの極寒・東京に降り立ってからすぐに肌が悲鳴を上げていた。
あまりに肌が驚いたのか、日焼けの皮めくれか?と疑うほど顔全体に乾燥を超えたひどい粉ふきが広がった。尚且つ普段から敏感肌なゆらぎ肌時期もよく訪れることもあり、どんなしっとり系のスキンケアも潤いが足りなければヒリヒリ感を生む原因になり、肌がはちゃめちゃに泣いていた。
地元ではつい最近までまあまあ肌の治安を守れていたのであまりに驚いて、そしてこれからもまだ人と会うことを思うと絶対に対策をしたかった。若干値が張ってしまっても構わない、というかそうしないと多分失敗が続いて費用が嵩み続けてしまうのが安易に想像できて、一度で確実に乾燥の息の根を止めて欲しかった。

それじゃあどこに相談しよう、と考えた時に即思いついたブランドが只今絶賛「美容液ファンデ」と呼ばれおバズり申し上げている天下の資生堂さんだった。
それこそ色々と調べ全国的に欠品が続いているが、他の乾燥肌の方々があのファンデを崇め奉っているのを見るとおそらく本当にいいものであろうし、そこから連想して『資生堂さんならクッションファンデもさぞ保湿寄りなラインナップがあるはずだ!』と予想し、直に相談してみることを選んだ。
これまで翻訳業の給料をこれまでの進路でめちゃくちゃお世話になった(ている)兄弟に誕生日でDiorやshu uemuraをプレゼントしたり、その辺りのデパコスに比べると若干安価なOsajiのネイルやリップは嗜んだが、肌周りのアイテムで自分のためにデパコスを買うことは初めてだった。
あの凛々しい空間に立ち入ることに少し勇気が必要だったが、ストレスによる切れ痔への恐怖に悩まされるあまり、物怖じせず肛門科でお尻を突き出した今年の初春を思うと、綺麗な美肌の美容部員さんなど全く怖くもなかった。実際全く怖くなく丁寧に対応してくださった。好き。

対応してもらうために番号札を貰い、のんびりとラインナップを眺めて待っていると早々に呼ばれる。感想にひどく悩んでいる事情を話すと、全国に10名ほどしかいないという専属トップメイクリスト(だったはず)の肩書きを持つ凄腕の美容部員さんにタッチアップを提案してもらい、ありがたくお願いさせてもらうことにした。
メイクをオフしてもらい、肌の水分診断と肌色診断などを済ませる。
肌年齢は実年齢-1に収まり、地肌の水分量は61くらいとやや水分不足な感じ。なるほどね。まだピチピチ(自称)なので、肌年齢が急速に老化などしていないと知れたのはありがたかった。
肌色はまさに標準色といった感じで、顔はピンクオークル10と一番明るく、首がオークル寄りとの結果だった。結果的にピンクオークルでもオークルでも10番が最も肌に合いそうだった。
肌色診断の前にスキンケアもしてもらったのだけど、朝の時間まで変わらず粉吹きが続いていたのでひりついてしまったりしないか心配だった。しかしそんなのは全くの杞憂で大丈夫そう、を超えてめちゃめちゃもちもちしっとりお肌になってすごく驚いた。明らかに肌のくすみ感が消え、生き返ったかのようで感動した。

えっ…やだ、これが……私……??

これだけの感動に飽き足らず、これからがメインのクッションファンデーション。
二種類のツヤ寄りのクッションファンデと共に、あのリキッドファンデと共におバズり散らかしているブラシが出てきた。やだ、形状かわいい…。
どうやらクッションファンデに対してもメインで使えるとのことで、あのぷにぷにの所で軽やかに色を置き、ささっとブラシで広げてもらう、けど、えっこんな少なく乗せていいの…足りる……?と不安に駆られる。不安だったけど、実際に塗ってもらうと中途半端感もなく、これまたヒリつきや速攻カサカサになってしまうこともなかった。スキンケアとファンデ、すごい!
カバー力はすごく高いわけではないけれど、どこか顔を作り上げてしまっている感のあるこれまでのメイクから抜け出したい、と素肌感を模索していたので個人的には満足だった。隈や赤みの対策を聞き、もう少しだけ塗り重ねてもらうとそこまで気になることもなかった。
時間が少し経っての肌の状態も見るに、パウダー無しでもいいらしいとのことだった。すごい!!

2つの異なるランクのファンデーションと2色の色ベースの異なるオークルを試して、最終的にプレミアムシリーズのピンクオークル10番をお買い上げすることにした。
今後もうしばらく可哀そうなことをしてしまった肌のために、当初よりも少し予算を上げて使用してもらった美容液を追加し、ブラシもまだ残っているとのことだったので買ってしまった。お会計の際、スキンケアのサンプルも大寒波のピークに耐え得るだけの数を頂いてしまったし、部員さんとはなんと素敵で心強い存在なのだろう……。
バチバチにいい買い物ができたので、るんるんとした気持ちでそのまま外でご飯を済ませて帰った。

余談として、帰宅してあまりに疲れすぎたのか、ベッドに腰掛けたのを最後に意識を飛ばしてしまったのだが、翌朝に恐る恐る確認をするとそこまで粉吹きもしていなかった。感動したけど、あまりに肌に対して水の泡になることをしてしまったので反省する。
資生堂の魅力を知ってしまった私は、これからの兄弟家族のプレゼントは資生堂で選んでみようと思いました。

それにしても渋谷、もしかして新宿と同等レベルに迷うのでは…?と危機を感じた。今度あえてわざと迷い込んでみても楽しそうだけど、後半には泣きべそをかいてしまうなと思い立ったのでやめておこう。

そして、今夜こそはちゃんと化粧を先に落とすことから始めようね。

 

2023/12/22
(2023/12/24 タイトル変更)

やっぱり日記を書くのが好きだ、大好きだ。

日記祭なる催しに参加したその日、4年ぶりにはてなブログにアクセスした。

逸る気持ちに駆られて12年ぶりくらいに新規登録の画面を開き、冷え切った指でポチポチと打ち次へ進み、そして見事にメールアドレスのnとmを打ち間違えた。
おかげでメールが来ない。どうやら仮登録情報が消えるまで半日間何もできなくなったらしい。
あまりに歯がゆい12時間の到来に項垂れる。こんなにも日記が書きたいのに、書きたいのに!!思わず脱力し、ベッドに倒れスクリーンを仰ぎ見る。でも心臓はバクバクと動く。
こんなにも自分がやりたいことをまた見つけ出すことができたことが嬉しくて仕方がなかった。

果然我這麼喜歡寫日記!

やっぱり、日記を書くのが好きだ。大好きだ。

 

はてなと出会った12年前、今の日記様式

私が初めて自分のことを文章に認め始めたのは、はてなハイクだった。

元々うごくメモ帳で作品を作ったり同人作品を楽しんでいた当時うごメモキッズの小学校高学年児こと私は、同時にはてなのアカウントを作り、はてなブログはてなフォト、そしてはてなハイクを放課後に自宅のパソコンで眺めるのが好きだった。
皆がさも当然のように日記を書いて、ハイクに短文で日常をつぶやき、はてなフォト経由で写真をアップロードしていた。そういう「つぶやく場」というのは当時からかの青い鳥が適任だったかもしれないが、私にとっては横画面に皆のアイコンが、右にお題という名のスレッドがずらりと並ぶあの空間が初めての短文主体のSNSだった。

はてなハイクは住宅街の匂いがした。人の穏やかな往来のなかで、どこからか乾燥機から出したての温かい布団の匂い、漂うカレーや味噌汁の美味しそうな匂い、そして足早に家路を急ぎたくなる。そんな人々の営む生活の気配でいっぱいで、安心感さえ覚えた。
サービスを終了すると知ったあの時、寂しい気持ちで胸がギュッと詰まったことを覚えている。遠い故郷を離れてしまうような気持ちだった。

 

はてなブログも使っていたが、当時はただ好きなボーカロイド曲の歌詞を保存するだための使い方をしていた。謎に、何度も作り直しては歌詞を打ち出していて、おかげで当時からタイピング速度は異常に速かった。
後に高校卒業後に海外へ留学をする頃には、その備忘録に利用した。でも文体はまさに「ブログ」と呼ぶに相応しく、主観的に書いてはいるもの明らかに外に向けた物だった。
同じ境遇の方へ参考になるように、との思惑通り、ぼちぼち同じ進路を目指す方に参考にしてもらえたが、次第に筆が疎かになった。
純粋に他人を気にしていられないほどに勉強したり、進路で思い悩んだり、そして何より自分のための備忘録で赤の他人に向け淡々と敬語を使うのが窮屈で遠ざかった。
当時すでに始めていたInstagramのストーリーを使った2ヶ国語日記が楽しくなっていて、その日記形式は今も変わらず内輪向けの鍵アカウントで続けている。自分の第二言語にまで昇格した中国語が、後々自分の成長記録として残ることが確かなやりがいに繋がっている。
そのストーリーにハートマークのいいねを反応してくれる現地の友達も数多く、あの頃よりずっとグローバル化に近づいた新たな拠点の住宅街がそこに広がっている。

でも、それでもどこか帰りたくなる気持ちだけが積もり積もっていった。

 

海外大学進学とうつ、休学

語学留学を機に渡航し、コロナ禍での紆余曲折も乗り越え大学進学を機に再び海を超えた私は、2年次を終える今夏にはひどいうつ病でベッドから一歩も動くことさえ叶わなくなった。

理由は学業のこと、それから物理的距離と相反してあまりに近すぎる人間関係だった。

まだ大丈夫、まだいける、と過ごしているうちに起き上がることが困難になり、天井を眺めることしかできず、灯のスイッチを触ることはもちろん 枕元でぶら下がるカーテンにさえ手を伸ばせなくなっていった。かろうじてトイレには行けたが、ご飯もろくに食べず、水も飲まず、止まぬ頭痛と耳鳴りの中で理由もうまく断定できない涙が溢れて止まらなかった。
ついには次に目を開けた時、同じ日の高さにあるのにも関わらず日付が1日飛んでしまっていた。
このままじゃいけない、と一瞬の冷静さを取り戻した後 夜通しで自分の状況を全て中国語でメモし、練習したのちにタクシーに飛び乗って、現地の人から評判の良かった精神科を受診した。問診の末、明確なうつ病だと告げられた。
死んでも退学はもちろん休学もしたくないとさえ思っていたが、さすがに診断が出てしまえばすんなりと受け入れられた。
根因だった人間関係からは然るべき言葉を交わすだけの心身の余裕も備えられず、ただ逃げてしまった。靄のかかったように思考停止してしまう頭の一方で、記憶の底を具現した夢と頭のけたたましいサイレンに掻き消され飛び起きる夜が未だにある。
回復傾向にあり目立った健康被害が解消されつつあるが、精神科のお医者さん曰く、寛解の麓に佇む最大の壁は気力回復であるらしい。今となっては、その意味がひしひしと理解できる。

だからこそ、日記に対して感じた高揚感が噛み締めたいほどに嬉しかった。

 

話が長くなったが、何の話だったか。

そうだ、日記祭に行ったんだ。

 

期間限定の上京と日記祭と日記欲

就職活動準備と称して、1ヶ月ほど東京に住ませてもらうことにした。

シェアハウスを契約した次の日、インプレッション数が可視化されてから一気に足が遠のきROM専の情報探索ツールと化したTwitter(X)でたまたま日記祭の情報を目にした。
そうして、以前からロゴデザインが好きでフォローしていたデザイナーさんの日記と、はてなさんのブースを目当てに初の散歩旅として日記祭会場を選んだ。
バスに乗り、下北沢に向かう。閑静な住宅街の緩やかな坂道を登り、Google Mapを片手に歩いていると不意にそれらしき会場を目にする。見事な青空の下での開催だった。

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はじめに手に取ったのは休職生活を綴った日記だった。
それから巡回もそこそこにして、先にお目当てのはてなさんのブースへ。
男性のスタッフさんが快くフリーペーパーを纏めた束を渡してくれた。「もしかして、冊子をもらいに来て下さいました?」と聞かれ、素直に頷く。スタッフさんたちの顔が綻び、ふと、私と「日記」というものを教えてくれたはてなさんに自分のバックボーンを伝えたくなった。
「小学校の頃にうごメモに出会って、はてなハイクもその頃から使っていたんです。Twitterに出会うより、ずっと前から身近な存在でした」と長年のはてなファンを告白すると、相手方が響めく。かなりの古参じゃないですか!と。そして、男性スタッフさんが当時ハイクのサービスを運営していたのだと教えてくれた。(うろ覚えだが、しかし私が過去使ったサービスの運営に関わっていた方だったのは確かだ。)

少しばかりのブログ話に花が咲き、ブースを回るために再度感謝の気持ちと別れの言葉を告げる。温かくてくすぐったい、ほかほかした気持ちだった。

 

そうして近くのブースから攻めていき、一冊の日記の前で立ち止まる。葉山莉子さんの書籍「ティンダー・レモンケーキ・エフェクト」だった。Twitterの告知スレッドで見逃していた、初めて目にする表紙だった。
如何せんデザインを齧っているものだから、デザイナーさんの手により作られたであろう装丁の構成に注目してしまう。そうして、葉山さん直々に本のご紹介を受ける。
Tinderで日記を付けている、という謳い文句に思わず強い感嘆詞が漏れ、見本を拝見する。隣で葉山さんに出版の話を直に持ちかけたと語る方からの熱い推薦も受け、見事お買い上げ。葉山さん直々にサインを頂いた本は後に電車移動のお供となり、つい昨日、泣く泣く残りのページを全て読み終えてしまった。恐らく後に再度感想を語るが、私の日記熱に再び火をつけてくれたのは間違いなく葉山さんだ。今回一番出会えて良かったと感じる作家さんである。
そこまで語り、続刊を買う臨時タスクを遂行すべくメルカリを開く。寝る前には買ってしまおう。これも立派な日記兼備忘録だ。

そこから一気に物欲のネジが外れ、経理のお仕事を経て芸大の大学院に進学された方の修論日記、同郷の子が執筆したデザイン生日記、出会い系で出会った人のLINEトークで日記を展開した人の日記(パッケージが特殊で、もはやL版写真のパック詰めなのが返っておしゃれだった)、それからお目当てのデザイナーさん出版の手のひらサイズの日記を買った。羽渡さんという名義で書かれた日記を金と赤のリソグラフで刷り、穴に赤い糸を通し出来上がったそれは、めちゃくちゃに製本欲を掻き立てる見事な作品だった。どうやってインクを刷る部分を分けたかすごく気になった。
ご本人に会えるまで3周して、その度に売り子の方とお話をして(何度も申し訳ない)、見本誌を取りに戻ったところから戻られ休憩されているところを突撃してしまう。嗚呼、ゆったりとパンを食べていらっしゃってたのに…今考えても本当にごめんなさい…。海外の地からデザインを拝見しては学ばせてもらっていること、ファンであることを告げサインを求めると、すごく謙遜されてお恥ずかしそうに、でも快くサインを引き受けてくださった。宝物だ。
サインだけに飽き足らず、私の身の上話をさせてもらうとなんとエールの言葉までくださり、やはり私の憧れの方の一人だと再認識した。明日からの散歩の移動はこの日記を鞄に入れ持ち歩くつもりだ。
装丁ももちろんだが、何よりちいかわのイラストが唐突に日記に挟まってくるのがとてもいい。ちいかわもかわいいガワと反してナガノ先生の闇描写の恩恵でさらに見応えあるダークネスな描写が好きで長らく追っかけている身としては、この上ない夢のコラボだ。読むのが楽しみだ。

 

そんなこんなで一通り欲しいと思う日記を厳選し、ベンチで休憩しつつ、はてなさんの無料冊子と葉山さんの「ティンダー・レモンケーキ・エフェクト」を読む。ぐんぐん、水を吸う花のように夢中になり呑まれていく。
はてなさんの無料冊子もかなり読み応えがあり、そのページ数が故に読み切ってしまうのが勿体なく、未だに読めていない。ただ序盤で読んだ落とし物をした通行人を手助けする友人の話が私の心にも刺さる。
東京に来てまだ2日と少しだった私はまだ東京の冷たさを感じたことがないのだけど、「貴方の優しさに出会えた通行人が羨ましい」と赤裸々に書いた言葉が私の心にグッと刺さる。すごく好きな文体だったから、また読むのを再開したら真っ先にフォローしに行こう。
そうして葉山さんの本の序盤、シャウエッセンの下りからあまりに面白く、これはずっとここで読んでしまう、と早々に鞄に戻す。

 

そうして心がひと段落して、目の前の通路を見る。

親子連れ、友人と、カップルと、そして一人で街ゆく人々が全てこの日記祭を目当てに集まっていて、聞こえる話も全て日記話。
ふと、この風景から日記を象徴する匂いがした。あの頃の私が感じた住宅街の匂い。
あまりに心地よくて、夢のようで、一人じんわりと噛み締めた。

そして、どうしようもなく日記が書きたくて書きたくて仕方がなく、ドキドキした。

その衝動を一人で噛み締めるには勿体無くて、そのままはてなさんと葉山さんのブースを再び訪ねる。どうしても本が面白いです、とたった一言だけでも伝えたい衝動に駆られた。葉山さんには「自分でもシャウエッセンの話を上回る気がしない、一番の出来なんです」と可愛らしく微笑みながら裏話を教えてくださった。
そして私の日記生を授けてくれたはてなさんにも直接簡素であるが冊子の感想を伝え、そしてまたはてなさんで日記を書きたくなった、書くと思います、そう告げると我が事のように喜んでくださり、そして歓迎してくださった。

ひたすらに温かった。嬉しかった。

 

そんなこんなで日記祭から離脱し、下北沢のスタバに入り戦利品をまとめつつ、LINEにてツテで請け負っている中日通訳のミーティングを終える。途中で大好きなCOCO都可を見つけてからはまた意識が飛び、気づけば手に愛しの百香雙響炮を持っていた。最近は少冰微糖が好き。
それから日記祭の会場で食べた味噌汁が美味しくて忘れられずお店に戻ったが、すでに閉まっていた。その悔しさをまたInstagramのストーリーで動画と共に記録する。もはやVlogのようなものだが、これがなかなかに楽しい。中国語もなかなか喋り足りない。
あまりに喋りたくて、それまでの東京生活を鮮明に記録したくて、帰宅してからアーカイブのためにインスタライブで喋り散らかした。2時間ほどぺちゃくちゃ喋った。

 

ライブも終え、あまりの疲労にベッドに傾れ込む。幸せな疲れだった。

疲れていても日記を書きたい欲は健在で、それが気力保持を最難関に残すうつ病患者にとってはやっぱり噛み締めたいほどに嬉しかった。

そうして、冒頭に戻る。

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東京生活はもうDay12くらいまで来ているので、今から過去を振り返ると長たらしくなってしまい、また日記を書くことを疲れてしまいそうなので一旦保留にしよう。

はてなに戻っても内輪からの反応や会話が生まれることが変わらず好きで、何より添削の機会も与えてもらえるので続行したい。ここではそのハイライトを載せていけたらと思う。
何より、久々のはてなライフを存分に楽しみたい。

そしてそんな様子がおかしいこの日記も、また誰かの目に面白く映ることを願いたい。

 

 

2023/12/20