果然日記、やっぱりね。

「果然是妳、」と言われるとなんだか嬉しい。やっぱり、全て私らしい。

やっぱり日記を書くのが好きだ、大好きだ。

日記祭なる催しに参加したその日、4年ぶりにはてなブログにアクセスした。

逸る気持ちに駆られて12年ぶりくらいに新規登録の画面を開き、冷え切った指でポチポチと打ち次へ進み、そして見事にメールアドレスのnとmを打ち間違えた。
おかげでメールが来ない。どうやら仮登録情報が消えるまで半日間何もできなくなったらしい。
あまりに歯がゆい12時間の到来に項垂れる。こんなにも日記が書きたいのに、書きたいのに!!思わず脱力し、ベッドに倒れスクリーンを仰ぎ見る。でも心臓はバクバクと動く。
こんなにも自分がやりたいことをまた見つけ出すことができたことが嬉しくて仕方がなかった。

果然我這麼喜歡寫日記!

やっぱり、日記を書くのが好きだ。大好きだ。

 

はてなと出会った12年前、今の日記様式

私が初めて自分のことを文章に認め始めたのは、はてなハイクだった。

元々うごくメモ帳で作品を作ったり同人作品を楽しんでいた当時うごメモキッズの小学校高学年児こと私は、同時にはてなのアカウントを作り、はてなブログはてなフォト、そしてはてなハイクを放課後に自宅のパソコンで眺めるのが好きだった。
皆がさも当然のように日記を書いて、ハイクに短文で日常をつぶやき、はてなフォト経由で写真をアップロードしていた。そういう「つぶやく場」というのは当時からかの青い鳥が適任だったかもしれないが、私にとっては横画面に皆のアイコンが、右にお題という名のスレッドがずらりと並ぶあの空間が初めての短文主体のSNSだった。

はてなハイクは住宅街の匂いがした。人の穏やかな往来のなかで、どこからか乾燥機から出したての温かい布団の匂い、漂うカレーや味噌汁の美味しそうな匂い、そして足早に家路を急ぎたくなる。そんな人々の営む生活の気配でいっぱいで、安心感さえ覚えた。
サービスを終了すると知ったあの時、寂しい気持ちで胸がギュッと詰まったことを覚えている。遠い故郷を離れてしまうような気持ちだった。

 

はてなブログも使っていたが、当時はただ好きなボーカロイド曲の歌詞を保存するだための使い方をしていた。謎に、何度も作り直しては歌詞を打ち出していて、おかげで当時からタイピング速度は異常に速かった。
後に高校卒業後に海外へ留学をする頃には、その備忘録に利用した。でも文体はまさに「ブログ」と呼ぶに相応しく、主観的に書いてはいるもの明らかに外に向けた物だった。
同じ境遇の方へ参考になるように、との思惑通り、ぼちぼち同じ進路を目指す方に参考にしてもらえたが、次第に筆が疎かになった。
純粋に他人を気にしていられないほどに勉強したり、進路で思い悩んだり、そして何より自分のための備忘録で赤の他人に向け淡々と敬語を使うのが窮屈で遠ざかった。
当時すでに始めていたInstagramのストーリーを使った2ヶ国語日記が楽しくなっていて、その日記形式は今も変わらず内輪向けの鍵アカウントで続けている。自分の第二言語にまで昇格した中国語が、後々自分の成長記録として残ることが確かなやりがいに繋がっている。
そのストーリーにハートマークのいいねを反応してくれる現地の友達も数多く、あの頃よりずっとグローバル化に近づいた新たな拠点の住宅街がそこに広がっている。

でも、それでもどこか帰りたくなる気持ちだけが積もり積もっていった。

 

海外大学進学とうつ、休学

語学留学を機に渡航し、コロナ禍での紆余曲折も乗り越え大学進学を機に再び海を超えた私は、2年次を終える今夏にはひどいうつ病でベッドから一歩も動くことさえ叶わなくなった。

理由は学業のこと、それから物理的距離と相反してあまりに近すぎる人間関係だった。

まだ大丈夫、まだいける、と過ごしているうちに起き上がることが困難になり、天井を眺めることしかできず、灯のスイッチを触ることはもちろん 枕元でぶら下がるカーテンにさえ手を伸ばせなくなっていった。かろうじてトイレには行けたが、ご飯もろくに食べず、水も飲まず、止まぬ頭痛と耳鳴りの中で理由もうまく断定できない涙が溢れて止まらなかった。
ついには次に目を開けた時、同じ日の高さにあるのにも関わらず日付が1日飛んでしまっていた。
このままじゃいけない、と一瞬の冷静さを取り戻した後 夜通しで自分の状況を全て中国語でメモし、練習したのちにタクシーに飛び乗って、現地の人から評判の良かった精神科を受診した。問診の末、明確なうつ病だと告げられた。
死んでも退学はもちろん休学もしたくないとさえ思っていたが、さすがに診断が出てしまえばすんなりと受け入れられた。
根因だった人間関係からは然るべき言葉を交わすだけの心身の余裕も備えられず、ただ逃げてしまった。靄のかかったように思考停止してしまう頭の一方で、記憶の底を具現した夢と頭のけたたましいサイレンに掻き消され飛び起きる夜が未だにある。
回復傾向にあり目立った健康被害が解消されつつあるが、精神科のお医者さん曰く、寛解の麓に佇む最大の壁は気力回復であるらしい。今となっては、その意味がひしひしと理解できる。

だからこそ、日記に対して感じた高揚感が噛み締めたいほどに嬉しかった。

 

話が長くなったが、何の話だったか。

そうだ、日記祭に行ったんだ。

 

期間限定の上京と日記祭と日記欲

就職活動準備と称して、1ヶ月ほど東京に住ませてもらうことにした。

シェアハウスを契約した次の日、インプレッション数が可視化されてから一気に足が遠のきROM専の情報探索ツールと化したTwitter(X)でたまたま日記祭の情報を目にした。
そうして、以前からロゴデザインが好きでフォローしていたデザイナーさんの日記と、はてなさんのブースを目当てに初の散歩旅として日記祭会場を選んだ。
バスに乗り、下北沢に向かう。閑静な住宅街の緩やかな坂道を登り、Google Mapを片手に歩いていると不意にそれらしき会場を目にする。見事な青空の下での開催だった。

f:id:nsz_110:20231220010616j:image

はじめに手に取ったのは休職生活を綴った日記だった。
それから巡回もそこそこにして、先にお目当てのはてなさんのブースへ。
男性のスタッフさんが快くフリーペーパーを纏めた束を渡してくれた。「もしかして、冊子をもらいに来て下さいました?」と聞かれ、素直に頷く。スタッフさんたちの顔が綻び、ふと、私と「日記」というものを教えてくれたはてなさんに自分のバックボーンを伝えたくなった。
「小学校の頃にうごメモに出会って、はてなハイクもその頃から使っていたんです。Twitterに出会うより、ずっと前から身近な存在でした」と長年のはてなファンを告白すると、相手方が響めく。かなりの古参じゃないですか!と。そして、男性スタッフさんが当時ハイクのサービスを運営していたのだと教えてくれた。(うろ覚えだが、しかし私が過去使ったサービスの運営に関わっていた方だったのは確かだ。)

少しばかりのブログ話に花が咲き、ブースを回るために再度感謝の気持ちと別れの言葉を告げる。温かくてくすぐったい、ほかほかした気持ちだった。

 

そうして近くのブースから攻めていき、一冊の日記の前で立ち止まる。葉山莉子さんの書籍「ティンダー・レモンケーキ・エフェクト」だった。Twitterの告知スレッドで見逃していた、初めて目にする表紙だった。
如何せんデザインを齧っているものだから、デザイナーさんの手により作られたであろう装丁の構成に注目してしまう。そうして、葉山さん直々に本のご紹介を受ける。
Tinderで日記を付けている、という謳い文句に思わず強い感嘆詞が漏れ、見本を拝見する。隣で葉山さんに出版の話を直に持ちかけたと語る方からの熱い推薦も受け、見事お買い上げ。葉山さん直々にサインを頂いた本は後に電車移動のお供となり、つい昨日、泣く泣く残りのページを全て読み終えてしまった。恐らく後に再度感想を語るが、私の日記熱に再び火をつけてくれたのは間違いなく葉山さんだ。今回一番出会えて良かったと感じる作家さんである。
そこまで語り、続刊を買う臨時タスクを遂行すべくメルカリを開く。寝る前には買ってしまおう。これも立派な日記兼備忘録だ。

そこから一気に物欲のネジが外れ、経理のお仕事を経て芸大の大学院に進学された方の修論日記、同郷の子が執筆したデザイン生日記、出会い系で出会った人のLINEトークで日記を展開した人の日記(パッケージが特殊で、もはやL版写真のパック詰めなのが返っておしゃれだった)、それからお目当てのデザイナーさん出版の手のひらサイズの日記を買った。羽渡さんという名義で書かれた日記を金と赤のリソグラフで刷り、穴に赤い糸を通し出来上がったそれは、めちゃくちゃに製本欲を掻き立てる見事な作品だった。どうやってインクを刷る部分を分けたかすごく気になった。
ご本人に会えるまで3周して、その度に売り子の方とお話をして(何度も申し訳ない)、見本誌を取りに戻ったところから戻られ休憩されているところを突撃してしまう。嗚呼、ゆったりとパンを食べていらっしゃってたのに…今考えても本当にごめんなさい…。海外の地からデザインを拝見しては学ばせてもらっていること、ファンであることを告げサインを求めると、すごく謙遜されてお恥ずかしそうに、でも快くサインを引き受けてくださった。宝物だ。
サインだけに飽き足らず、私の身の上話をさせてもらうとなんとエールの言葉までくださり、やはり私の憧れの方の一人だと再認識した。明日からの散歩の移動はこの日記を鞄に入れ持ち歩くつもりだ。
装丁ももちろんだが、何よりちいかわのイラストが唐突に日記に挟まってくるのがとてもいい。ちいかわもかわいいガワと反してナガノ先生の闇描写の恩恵でさらに見応えあるダークネスな描写が好きで長らく追っかけている身としては、この上ない夢のコラボだ。読むのが楽しみだ。

 

そんなこんなで一通り欲しいと思う日記を厳選し、ベンチで休憩しつつ、はてなさんの無料冊子と葉山さんの「ティンダー・レモンケーキ・エフェクト」を読む。ぐんぐん、水を吸う花のように夢中になり呑まれていく。
はてなさんの無料冊子もかなり読み応えがあり、そのページ数が故に読み切ってしまうのが勿体なく、未だに読めていない。ただ序盤で読んだ落とし物をした通行人を手助けする友人の話が私の心にも刺さる。
東京に来てまだ2日と少しだった私はまだ東京の冷たさを感じたことがないのだけど、「貴方の優しさに出会えた通行人が羨ましい」と赤裸々に書いた言葉が私の心にグッと刺さる。すごく好きな文体だったから、また読むのを再開したら真っ先にフォローしに行こう。
そうして葉山さんの本の序盤、シャウエッセンの下りからあまりに面白く、これはずっとここで読んでしまう、と早々に鞄に戻す。

 

そうして心がひと段落して、目の前の通路を見る。

親子連れ、友人と、カップルと、そして一人で街ゆく人々が全てこの日記祭を目当てに集まっていて、聞こえる話も全て日記話。
ふと、この風景から日記を象徴する匂いがした。あの頃の私が感じた住宅街の匂い。
あまりに心地よくて、夢のようで、一人じんわりと噛み締めた。

そして、どうしようもなく日記が書きたくて書きたくて仕方がなく、ドキドキした。

その衝動を一人で噛み締めるには勿体無くて、そのままはてなさんと葉山さんのブースを再び訪ねる。どうしても本が面白いです、とたった一言だけでも伝えたい衝動に駆られた。葉山さんには「自分でもシャウエッセンの話を上回る気がしない、一番の出来なんです」と可愛らしく微笑みながら裏話を教えてくださった。
そして私の日記生を授けてくれたはてなさんにも直接簡素であるが冊子の感想を伝え、そしてまたはてなさんで日記を書きたくなった、書くと思います、そう告げると我が事のように喜んでくださり、そして歓迎してくださった。

ひたすらに温かった。嬉しかった。

 

そんなこんなで日記祭から離脱し、下北沢のスタバに入り戦利品をまとめつつ、LINEにてツテで請け負っている中日通訳のミーティングを終える。途中で大好きなCOCO都可を見つけてからはまた意識が飛び、気づけば手に愛しの百香雙響炮を持っていた。最近は少冰微糖が好き。
それから日記祭の会場で食べた味噌汁が美味しくて忘れられずお店に戻ったが、すでに閉まっていた。その悔しさをまたInstagramのストーリーで動画と共に記録する。もはやVlogのようなものだが、これがなかなかに楽しい。中国語もなかなか喋り足りない。
あまりに喋りたくて、それまでの東京生活を鮮明に記録したくて、帰宅してからアーカイブのためにインスタライブで喋り散らかした。2時間ほどぺちゃくちゃ喋った。

 

ライブも終え、あまりの疲労にベッドに傾れ込む。幸せな疲れだった。

疲れていても日記を書きたい欲は健在で、それが気力保持を最難関に残すうつ病患者にとってはやっぱり噛み締めたいほどに嬉しかった。

そうして、冒頭に戻る。

f:id:nsz_110:20231220035342j:image

東京生活はもうDay12くらいまで来ているので、今から過去を振り返ると長たらしくなってしまい、また日記を書くことを疲れてしまいそうなので一旦保留にしよう。

はてなに戻っても内輪からの反応や会話が生まれることが変わらず好きで、何より添削の機会も与えてもらえるので続行したい。ここではそのハイライトを載せていけたらと思う。
何より、久々のはてなライフを存分に楽しみたい。

そしてそんな様子がおかしいこの日記も、また誰かの目に面白く映ることを願いたい。

 

 

2023/12/20